SELF – or is it Myself ?

2009 年 6 月 20 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

おはこんばん、かさだんごです。新入生が加わってから二周目となりました。かさだはノベル班でシナリオライターをやっています、と一応書いておきます。

前回はriya大好き!を垂れ流しましたが、その話題でいくと、あらたな自主制作アルバム「ねじまきむじか」がいよいよ発売のようです。クロスフェード試聴が公開され、まったくもってわくわくしております。(>∀<)ゝ

……えと、ノンリニアの制作のほうでは、ぽちぽちキーを叩くのに疲れ、いまお茶を淹れているところです。かさだはコーンポタージュも大好きですよ!

作中BGMのサンプルも届きました。いい感じです♪ いっそう頑張りたいと!

ただ、作業用BGMが欲しいところです……ちょうどいいの、なかなかないんですよね。テキトーにしか探してないせいかもしれませんが、ニコニコに川の音とかが転がってるよー、なんて誰かが言ってたんだけどなぁ……、見つかりません……。そんなはずないんだけどね!

さて、自己とは何か?という問題。当然ながらかさだはきちんとした文献なんて見てないので、ユングだのカントだのと言われてもサッパリなのですが、ちょっとそういうところからは離れつつ、でもそんな話題。

科学的に言えば、脳細胞に刻み込まれたデータに過ぎない自己という情報。だから魂なんてものは存在しないし、脳が物理的に破壊されれば自己は消滅する。自分が自分でないような感覚は分泌されたなんらかの化学物質による効果に過ぎない。

果たして本当だろうか? といえば、本当だろうと思います。それまで否定してしまうのは宗教家(宗教を否定しているわけではないです。)かゲーム脳(こんな話題を出したのはそもそもそういうゲームをしたからに他ならないんですけどね)。

しかし、自己は唯一と言えるだろうか? われわれが知覚できない世界にいる誰かがわれわれを「見て」いないだろうか? また、われわれの脳内にもうひとりの自己意識が存在していないだろうか? われわれが「自己意識」とは認識しない、いままで定義していない形で存在している「自己」がいないだろうか?

正解がない問いもあれば、ある問いもあるのでしょうけど。そういったことについて考えるのは、ちょっぴり面白いです。でも、考えれば考えるほど、世界が自分と“ズレ”ていく……自分の存在について考えることで、自分の存在が失われていく。

………さて、話は変わって。

先日、バクモンという番組を見ました。あれ、違ったかな……。爆笑問題がなにかしらやる番組なんだけど。(追記:爆問学問でした)

それで、ちょうど東京大学の教授だか準教授だかの人が出てて、「いま生物とは定義されていないものについて生物ではないかと研究する(半生物の研究)」人だったんですが……。面白いですね。ライフゲームは生物か?っていう。

≪意思≫。≪意識≫。≪理解と矛盾≫。生きるのには苦労しますが、永遠に中二病でいられる――素敵なキーワードです。

だって、昔の科学者や哲学者だって、中二病患者のようなものでしょう? きっと、ね♪

(追記:前回のブログ記事を読み返したら『理解と矛盾』ってまた出てきたんだね。いまだ解決しない問題なので、ずっと考えているようです。。)

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