BGMと自己表現

2009 年 2 月 17 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもこんにちは.音楽担当のじゃんく♂です.

このようなサークルで音楽担当をやっているにも関わらずこういうことを言うのも若干気が引けるのですが,僕はどうもBGM製作というものが苦手だったりします.
BGMというのはその名の通りバックグラウンドの音楽であり,所与の世界やモチーフを強化し,浮き立たせるために用いられる音楽ですよね.もちろん多少の主張は許されるにしても,あくまで背景なわけです.
が,その所与の世界観に適合し,かつその雰囲気を保ったままモチーフの輪郭を強調するような音楽というのは難しいもので,僕のスキルなんぞではそもそも世界観はおろか,もっと限定してその場のシチュエーションに適した音楽でさえ作るのに労を要するのですよ.

大体与えられたテーマで何かを表現するというのが押し並べて苦手のようで,大学のレポートなどでも与えられたテーマをどうにかこうにか都合よく解釈し,自分の得意分野に持ち込んですき放題かいていたものです(認知科学の問題なのにロリショタの事を書いたり
そんな怠け癖がたたったのか,いざ製作で「ちょっと○○な雰囲気の曲書いてよ」と言われても,まずその意図に合ったものができません.今までも日常のイメージで曲を書いたら「これはエンディングだな」と言われ,哲学っぽいイメージで曲を書いたら「これは哲学っていうか砂漠だな」と言われる程度には酷いです.

スキル云々は置いておくとして,原因を考えて見たところやはり僕の製作に対する意識の問題なんですよね.
「創作は究極の自己表現だ」と言っている方がいましたが僕もそれには同意で,やはり創作というのは自分の価値観だったり哲学だったりの表出作業という面を持つわけで,如何に「自分」を出すかということに帰着させてもいいくらいのものだと僕は思っているわけなのです.
ですから,はっきり言ってBGMの製作じゃ自己の世界を表現するという点で「物足りない」んですよね.

冒頭でも述べたように,BGMは背景であって主役ではありません.場合によっては,メインの世界に引き込まれた受け手にとってはあたかもトロクスラー効果のごとく,知覚の埒外にすら追いやられることさえ危惧されるのです.もちろん,作品全体の中で統制のとれたイメージ作りの一環として「つなぎ」の役割で自分の音楽が使われることは吝かではないですが,それでは自分の世界を遺憾なく表現するという僕の表現者としての目的は達せられません.

だから僕が作りたい音楽は,既存の何かの味付けではなく,音楽それ自体で独立したストーリーを持ち,内部で完結した一個の作品なのです.
そこでは作者である僕は,制約に服することなく自由に音を並べ,僕の世界そのものを表現することができます.そしてそれが,僕が創作で本当にやりたいことなのです.

なんだか読みようによっては「こんなとこでBGM製作なんかやってられっか!もう抜けてやるもんねー!」という主張として受け止められるやもしれませんが,それは全く僕の意図するところではなく,むしろBGMらしいBGMが碌に作れなくて申し訳ないという謝罪(言い訳?)の意味合いが強いです.作り手にとっても,僕が担当した作品の受け手にとっても,です.
何だかんだ言っても,自分の音楽が作品の一パーツとして使ってもらえて,さらにそれが広まることで自分の音楽を聞いてもらえるというのは嬉しいことには違いありませんので,どうにかこうにかBGMとしての体裁を保ちつつ,かつ自己表現ができるような曲を作っていきたいという所存であります.

さて,最後に直近の僕の製作曲を紹介して終わることにしましょう.

「roulette girl」

ノベルゲームのBGMなんかにしたら間違いなく匙を投げられるレベルだというのがお分かりかと思います.
「主張しすぎてうざいBGM」を作るのに定評のある僕ですが,そろそろ何とかしないとサークル内での地位が危うくなってくるので,媚を売ったような普通のBGMを作りたいものですね.

それでは,また次の僕の担当のときにお会いしましょう.
じゃんく♂でした.

  1. Johng256
    2014 年 8 月 14 日 15:56

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