イケメン主人公が海パン一丁でバス停を振り回すゲーム

2009 年 3 月 2 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

を最近やってたりしますが。なんか皆のブログに書く内容が最近小難しくなってきて、「テレッテとタルンダの海パン三人でボス正義/戦車、無礼過ぎてらわろすww」とか書いてると、どう見ても一人だけ残念な子なので、今回は何かちょっと真面目な事を書こうかと頑張ってみます。

まぁシナリオライターだからには、「須藤のシナリオ書き方講座」的なのが一番手軽でらしいのでしょうが。まぁ実力の伴わない人の講座なんて需要ないし、そんな自負は全然ないので、やりません。そもそも書き方を勉強したいなら、まずは自分が面白いと思う作品を解剖してみて、後は色んな作品に手を出すのが良いと思うよ、というのが個人的な考えでして。いわゆる「教本」は、まぁ自分なりのスタイルが出来た後、自身の悪いところを改善したり、他人のスタイルを見て違いを楽しむ、といった使い方をするのが、というかそう使ってる。まぁ別に論理的根拠のない個人的な経験からの考え方ですので、適当に聞き流してくれれば。
ちなみに、以前別件だが「要望が来たらやるけど」とか冗談で言ったら本当に要望が来たことがあったので、冗談でも「まぁ万一要望があったら講座をコンテンツに上げます」なんて言わない。

じゃあまぁ場違いなの承知で他作品のレビューでもやるかっていったら、それも微妙でして。
批判に対して「自分では作れないくせに」という反論を時々見かけますが、私は作れない人間も文句言って良いと思っています(ただし論理的に説明しようとしている努力が見られるものに限る)。一番の理由として、作ってる側が「オレの自慰を見てくれッ!!」という態度でない限り、ある種のエンターテインメントとしてその「作品」は公開されているはずという点をあげます。有料なら勿論のこと、無料であれ時間をとって「作品」をやってもらうわけです。楽しませられなかったのであれば、批判を受け入れて改善の努力を見せなければならないはずですので。まぁ勿論、努力してもどーしようもない限界っていうのはあります。そこは受ける側の良心で、常識的な範囲に妥協を認めるなり何なりしないといけないとは思いますが。
でも、これ作ってる側が受け手に回ろうとすると話は別でして。「なら自分で作れば良いじゃん」と言われると返す言葉ないよねと言うか。批評って書いてるとどうしても上から目線になっちゃうわけで、自分よりいい作品を作る同業者に対してその態度はどうよって感じになるんですかね。常識的にというか社会体裁的にというか、何となく気が引けてしまうのです。後、どうでもいいですけど、本当に自分でその部分を改善した作品を作ろうとしたら、「パクリ乙」って言われない程度に改変を加えなきゃいけないわけで、そうなるとまた別のトコで問題が起きる程度には別作品になるよね。そうやって言い返せばいいのかね。

何か後半はすっごく自意識過剰な内容になってる気がしないでもないですが。延々書いたところで、十分な量になった気がするので、今日はこんなもので。
次回はまたグダグダな内容に戻るでしょう(予報

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