製作と音楽と……

2009 年 9 月 27 日 | カテゴリー: 製作について

こんばんは、闇狐です。彼岸も越えてようやく涼しくなると思ったら存外に暑いですね~。まだ半袖でどうにかなりそうです。

され、そうです、彼岸を越えてしまいそうなんです。彼岸花がきれいだなあとのんびり眺めている場合ではありません。製作に貢献しなくてはなりません。……言っている時点で大した貢献ができていないことの表れな気がします。

というのも、最近自分の存在を賭けて音楽しなければならないような、そんな感じになってきてしまっていてどうも。しかもスランプだから始末が悪い。まあ、そんなことはどうでもいいのです。上二つは愚痴です。そんな非生産的なものはいいのです。

最近のんびり考えていたのは同人ゲームなど、BGM分野における生楽器の処遇です。冷静に考えてみれば、主題歌において旋律楽器が生楽器にされたりするのはよくあることですが(ストリングスが生だと迫力が違いますし、アコースティック系楽器はやっぱり生音がいいですしね)、どうにもBGMできっちり奏者をつけて演奏、というのはなかなかないような気がします。それは企業においてもそうですよね。予算が足りないというのもあるのでしょうけれども、自分が知っている中で最も音について追求されていると感じたゲームはQuartett!くらいですか。これは音をテーマにしたゲームですから逆にこだわってなかったら嘘ですけど、逆に言えばそういう場合以外はBGMまで生になっているのは珍しいのでは。

手間がかかる、というのも理由の一つではあるのでしょう。たとえば、大学のサークルという身分を利用すれば、知り合いの演奏者くらいならば手配がつくでしょう。大学から始めたという人でも、四年も演奏を続ければなかなかの腕前になりましょう。十分聴いて納得のいく音を出せるのでは。しかし、レコーディングとミキシングという手間が横たわっている。打ち込みだけなら発生しなかった手間があちこちに出てくる。作業が終わらずに遅れることが多い製作過程において、これが致命的なのかもしれませんね。

でも、個人的に考えることは、きっと生音に対するこだわりが薄れているのだと思います。どうにも、それはサンプリング音源の進化ということもあるのでしょうけれども、アコースティック楽器そのものへのこだわりが薄れてしまっているのではないのかな、と。たとえば、今私はスペイン音楽にはまっているわけですが、フラメンコギターの持つ乾いた音と熱い旋律は地中海のうだるような熱気と砂の匂いを感じさせずにはおきません。それは、奏者と楽器とが一体となって初めて生まれる感覚です。きっと、それがより必要になるのはBGMのはずです。そこをもしサウンドディレクターがミュージシャンごと用意していれば、作曲者と共同でより実体化したゲームを作れるのではないかな、とか思っております。

何より、今のままでは俺がにーt

それではみなさん。またの機会に。

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