浴場で欲情
息を潜めて、体を重ねて、それから恋をする私たち。
“売れなかったアイドル”宮下雪乃は、過去に目をふせるばかりだった。岩井節子は、そんな雪乃と出会って“好意”を抱いた。そして始まるふたりの“関係”――それは、秘め事ばかりの恋愛風景。“売れなかったアイドル”という過去から好奇の目と中傷にさらされ、高校生活に自らピリオドを打った宮下雪乃。ひとりの女として見てほしい。誰かに求められたい――。そう願いながら孤独な日々を送る彼女の前に現れたのは、かつてミュージシャンとして活動していたという女性――岩井節子。そしてふたりは距離を狭め、肌に触れ合い、恋に落ちる。
こんにちは、八索です。ネタもないので最近読んだ漫画について書いてみようと思います。
まあ、成人男女の恋愛などに興味はないのでご覧になればわかるように百合モノです。というより、レズビアン漫画といったほうが正確な気もしますが。
単行本が出たのは2ヶ月ほど前のようでしたが、不覚にも見逃していまして、先日新宿の紀伊国屋で偶然見かけたときにカバー絵がよさそうだったので購入しました。百合ということでそこそこ期待して読み始めたのですが、期待以上の内容です。
それで自分の感想をつらつら書いてもいいのですが、そんな文章はググればいくらでてきます。そこで、巷のレビューを見て思ったことでも書いてみることにしました。まあレビューのレビューみたいなもんです。
まず自分が最初読んだときの感想ですが、「これは面白いけど、大方の男性には受けないだろうな」という気がしました。というのも従来の百合モノのお約束である精神性の偏重という路線から逸脱してる上に、主人公の女性がかなりの男性恐怖症
であり、男性の感情移入を拒否するように見えたからです。
ところが適当に検索をかけてみると、結構男性の百合好きからの評価も高いようです。これはどういうことか。
まず考えられるのは、主人公の置かれている境遇の普遍性です。雪乃は一度アイドルを目指して上京し、挫折して故郷に戻りますが、そこでの誹謗中傷に耐え切れずに東京に舞い戻ります。思春期の夢を棄て、現実を見据えることで大人になるわけですが、雪乃はその過渡期にあります。まだかつての夢を棄てきれず、現実との狭間で懊悩するその姿は、性別を問わず共感できるものです。
また雪乃の孤独というのも興味深い構造を持っています。彼女は東京でも故郷でも、ごく一部の友人を持っていることを除き孤独です。しかし、ふたつの孤独は少し意味合いが違います。故郷での孤独は顔の見える孤独であり、身近な人々から彼女は排斥されます。しかし東京での孤独は、無名の他者の中での孤独です。彼女は誰からも排斥されませんが、誰とも心を通わすことが出来ませんでした。この孤独は、現代の都市社会では普遍的なものです。このような舞台装置も、雪乃の心情を浮かび上がらせる上で有効に働いているといえるでしょう。
一方で自分が面白いと感じたのは、雪乃が今度男性とどのように関わっていくかということに興味を持っている人が予想以上に多かったことです。有体に言えば、雪乃が節子に魅かれたのは過去に受けたトラウマの所為であり、それが解消されれば彼女は男性と付き合えるようになるだろうという見方です。
要するに「同性愛なんて単なる気の迷いさ」ということで、いまだにこういう発想の人が多くいるという事実に少し眩暈を感じました。確かに性志向を含めたセクシュアリティーに揺らぎがあるのは当然であり、それを否定する気は毛頭ないのですが、同性愛を「異常」をみなしそこからの矯正を願う無邪気な心には、怒りを通り越して悲しくなります。
まだまだ書きたいことはありますが、長くなるのでこの辺でやめておきます。1つの作品でもいくつもの読み方が可能であるということが、創作の醍醐味でもあり怖さでもあると思います。作者としては、自分の作品が受け手になにを伝えるのか、きちんと考えておかねばなりません。
……なんか前回の自己紹介とテンションに差がありすぎますが、あまり気にしないほうがよろしいかと思います。