2009 年 2 月 20 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは。

C75頒布作品『徒咲昏』の、とらのあなさんでの委託販売が決まりました。販売開始は3月上旬頃になるんじゃないかと思います。少部数なので地方店舗にまで回るのかはよくわかりませんが、お近くのとらのあなさんの店舗で見かけた際はぜひ手にとってみてください。東京近辺にお住まいのかたは、あきばお~さんにて販売中なんでそちらもどうぞ。

それにしても、アマチュアの制作物がこうやって全国(?)規模で販売ルートに乗ってしまうとはすごい時代です。もちろん、同人ショップとかいうまでもなく、いまはフリーソフトやらニコニコやらで簡単に制作物を配信することができるわけですが、それでもやっぱり物理的な形のあるパッケージを売り買いするということに格別の意義を見いだしてしまうのは、もはや前時代的な感覚なんでしょうか。最近のニコニコ周辺の流れを見ているとそんなことを考えます。とはいっても、そもそもコミケというのは一年に二回ひとつところに集まってパッケージを売り買いすることに意味を見いだすようなイベントで、そちらはそちらで衰えることなく拡大しているわけですね。そう考えると物理的なパッケージに対するフェティッシュというのもそう簡単に消えてなくなるものではないのでしょう。そんなわけでオタク文化と物質性というテーマを思いついたわけですが、一日一更新というこのブログのポリシーにもとづいて日付変更までにエントリをあげてしまいたいので、このへんでおしまいにしたいと思います。

それでは、あきばお~さんで絶賛委託販売中、とらのあなさんでも販売予定の『徒咲昏』をどうぞよろしくお願いします。

とらのあなさんにて委託販売が決まりました はコメントを受け付けていません。
2009 年 2 月 19 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

予告通り,いつだったかの続きを書きます.

製作を進める上で,こういうツールが欲しい,という需要があがることはかなりあります.さらにそれらは,大きく二つに分類できるように思われます.本題ではないのですが,一応参考のために書いておきますか.

ひとつはローカル環境での作業における,プロジェクトごとにほぼ固有といってよい,特定の作業を自動化したいというツールの需要です.

今まで多く利用してきたノベルエンジン NScripter での製作を例に挙げるなら,特定部分をデバッグしたいですとか,立ち絵指定のエイリアスを管理したいですとか,特定フォルダにある画像ファイル名を元に,背景用の定数ヘッダを自動で出力したいですとか,そういう 「手元で楽をするためのツール」 です.Photoshop の定型作業を自動化したいのでスクリプトを,というようなものもこれに含めていいでしょう.

もうひとつは,複数人での並行作業を効率化しようと思うと需要が出てくるツールです.

ノンリニア内部で実際に使われているものとしては,独自のチャットや,webdav と連携した,ブラウザ上での画像サムネイル(ノベルゲームの背景用素材の一元管理に使う)などがそれにあたります.

まあ,そういうものが欲しくなる背景については前回も多少書いたつもりですし,こういう話題に興味のある方なら想像がつくと思われますので,割愛させていただきまして.

今回話題にしたいのは,それらをどうやって用意するかという問題,つまり自分たちでオリジナルのものを作るか,拾い物を(改造含め)使うかという問題です.

幸いにして今の時代,フリーなソフトウェアは豊富です.上記したようなことがそれぞれ実現できるソフトウェアは,全て,ぐぐれば入手できます(よね? っていうかローカル作業の例なんて,適当なシェルがあれば十分で……).

ですが,「できる」ことと,実際にサークル内で「使える」ことの間には大きな壁があります.

全員が情報処理技術者であるようなサークルならば,できることと使えることはほぼイコールと考えてよいので,「正規表現で~」 とか 「パイプ使えば~」 とか言って終わりですが,一般にはそうは行かないわけです.

加減して,拾ってきたフリーソフトふたつを組み合わせて実現できるからこれでどう,と既製のものを利用しようにも,手間からして,どうにも限界があります.例に挙げたようなテキスト処理ですと,確かにツールは掃いて捨てるほどありますが,それらは「一般に色々使えるように開発されたツール」であるので,細かい指定などは各ユーザがやらねばならないわけです.何度も同じことをやりたい場合に毎度その操作が発生するのは非効率的です.

オンラインでの連携のためのツールも同様です.チャットシステムも画像が管理できるグループウェアも,掃くどころか腐って捨てるほどあります.ありますが,そのどれもが,この程度の規模の同人サークルで利用するには無駄な部分が多く,説明が大変で各利用者に負担がかかり,結局それほど活用されないわけです.

少しまとめましょう.

つまるところ同人サークルでやりたいようなことを実現するには,拾ってこれるソフトウェアはあまりにも多機能・汎用的すぎ,しかもメンバーは多忙で,そういったものがいくつも導入されても学習が面倒なばかり,結果としてそれでは十分活用されないのです.必要なのは,誰にでも簡単に使えるシンプルで最低限の機能のみ備え,誤操作などありえない,というツールなのです.

大が小を兼ねれば何も問題ないのですが,往々にして汎用性が高いソフトウェアは基本的な機能だけを簡単に使えるようにはてきていませんからね,(情報スキル的な意味で)普通の人はまず敬遠しますし,馬鹿にするわけではないですが,うまく使えずその対応に追われることは必至です.

そもそも,やりたいことは(気分として)ちょっとしたことなのに,ゴテゴテした糞みたいな UI のウィンドウズアプリケーションがロゴを華麗にαフェードインさせながら起動するのを毎回見ていろというのも人類全体にとって多大な損失と言わざるを得ません.

……というような問題は,特定の用途に特化した,需要に応えるちょっとしたソフトウェアを誰かが書く,という行為によって全て解決されます! すばらしい!(ちなみに「誰か」っつーのは俺に他ならないので,完全なる自画自賛です)

まあ,一段落前のは冗談 3/4 ですが,求められているソフトウェアはつまるところシンプルに必要とされていることだけができればいい代物なわけなので,内製するといってもそんなに大変なものを書くことにはなりません.それで他のメンバーの負担が軽減されるなら,内製もありなんではないかと思えては来ないでしょうか.

車輪の再発明といわれればもちろんその通りですが,ひとりの技術担当が焦点を小さく絞り特化したツールを内製するだけで他のメンバー全員の作業効率が継続的に向上するなら,悪い話ではないでしょう.僧侶がスクルトとかピオリムとかかけるようなもので.

……と,俺ってこんな仕事しましたすげえかっこいい最強,でも孤立無援後継者いねー! というふいんきなぜか変換できないなエントリになりました.

次回はまた若干この話に絡めて,ソフトウェア製作はどこまで創作活動として認識しえるか,みたいなことを書こうかと思っています.延々と興味ない話が続いてすいませんフヒヒ! 他の人のエントリに乞うご期待!

2009 年 2 月 18 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

 ごきげんよう、おまいら。

 

 ここ最近特になのだけれど、睡眠時間が長いことが問題になっているわ。基本的には7時間、可能ならば7時間半は寝たいところだけど、実際のところ6時間あるいはそれ以下しか寝られないことが増えているの。そうなると結局無理がたたってどこかで10時間以上寝てしまうわけね。

 睡眠時間が長いことに関しては、私の脳はあなた達の脳と違って高性能だから、クールダウンする時間が多めに必要ですのよ、という感じで開き直って短くするつもりはないのだけれど。実際に、脳が高性能云々は脇においておくとしても、睡眠あるいは夢がその日起こった出来事を脳内で整理するうえである種の役割を果たしているということは指摘されているわ。私は能動的になにか情報を得ようとすることは少ないのだけれど、周りの状況や自分の触れた情報などは最大限吸収しようとするらしいので、そういった記憶の整理に時間がかかっているということにしておくわ。

 

 そろそろ眠くなってきたわ・・・。今日はまともなこと書いてないけど、この辺で勘弁してあげるっ!

 

 

・・・むにゃ。

 

2009 年 2 月 17 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもこんにちは.音楽担当のじゃんく♂です.

このようなサークルで音楽担当をやっているにも関わらずこういうことを言うのも若干気が引けるのですが,僕はどうもBGM製作というものが苦手だったりします.
BGMというのはその名の通りバックグラウンドの音楽であり,所与の世界やモチーフを強化し,浮き立たせるために用いられる音楽ですよね.もちろん多少の主張は許されるにしても,あくまで背景なわけです.
が,その所与の世界観に適合し,かつその雰囲気を保ったままモチーフの輪郭を強調するような音楽というのは難しいもので,僕のスキルなんぞではそもそも世界観はおろか,もっと限定してその場のシチュエーションに適した音楽でさえ作るのに労を要するのですよ.

大体与えられたテーマで何かを表現するというのが押し並べて苦手のようで,大学のレポートなどでも与えられたテーマをどうにかこうにか都合よく解釈し,自分の得意分野に持ち込んですき放題かいていたものです(認知科学の問題なのにロリショタの事を書いたり
そんな怠け癖がたたったのか,いざ製作で「ちょっと○○な雰囲気の曲書いてよ」と言われても,まずその意図に合ったものができません.今までも日常のイメージで曲を書いたら「これはエンディングだな」と言われ,哲学っぽいイメージで曲を書いたら「これは哲学っていうか砂漠だな」と言われる程度には酷いです.

スキル云々は置いておくとして,原因を考えて見たところやはり僕の製作に対する意識の問題なんですよね.
「創作は究極の自己表現だ」と言っている方がいましたが僕もそれには同意で,やはり創作というのは自分の価値観だったり哲学だったりの表出作業という面を持つわけで,如何に「自分」を出すかということに帰着させてもいいくらいのものだと僕は思っているわけなのです.
ですから,はっきり言ってBGMの製作じゃ自己の世界を表現するという点で「物足りない」んですよね.

冒頭でも述べたように,BGMは背景であって主役ではありません.場合によっては,メインの世界に引き込まれた受け手にとってはあたかもトロクスラー効果のごとく,知覚の埒外にすら追いやられることさえ危惧されるのです.もちろん,作品全体の中で統制のとれたイメージ作りの一環として「つなぎ」の役割で自分の音楽が使われることは吝かではないですが,それでは自分の世界を遺憾なく表現するという僕の表現者としての目的は達せられません.

だから僕が作りたい音楽は,既存の何かの味付けではなく,音楽それ自体で独立したストーリーを持ち,内部で完結した一個の作品なのです.
そこでは作者である僕は,制約に服することなく自由に音を並べ,僕の世界そのものを表現することができます.そしてそれが,僕が創作で本当にやりたいことなのです.

なんだか読みようによっては「こんなとこでBGM製作なんかやってられっか!もう抜けてやるもんねー!」という主張として受け止められるやもしれませんが,それは全く僕の意図するところではなく,むしろBGMらしいBGMが碌に作れなくて申し訳ないという謝罪(言い訳?)の意味合いが強いです.作り手にとっても,僕が担当した作品の受け手にとっても,です.
何だかんだ言っても,自分の音楽が作品の一パーツとして使ってもらえて,さらにそれが広まることで自分の音楽を聞いてもらえるというのは嬉しいことには違いありませんので,どうにかこうにかBGMとしての体裁を保ちつつ,かつ自己表現ができるような曲を作っていきたいという所存であります.

さて,最後に直近の僕の製作曲を紹介して終わることにしましょう.

「roulette girl」

ノベルゲームのBGMなんかにしたら間違いなく匙を投げられるレベルだというのがお分かりかと思います.
「主張しすぎてうざいBGM」を作るのに定評のある僕ですが,そろそろ何とかしないとサークル内での地位が危うくなってくるので,媚を売ったような普通のBGMを作りたいものですね.

それでは,また次の僕の担当のときにお会いしましょう.
じゃんく♂でした.

2009 年 2 月 14 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

日本ではバレンタインというのは女性が男性にチョコレートをあげる日となっていますが、

海外では全然そんなことなくて普通に男性が女性にプレゼントをしたりするらしいです。

じゃあ何故日本ではそのような習慣になっているのかというと、お菓子会社の売上を上げるための策略だそうです。

まあ有名な話な気がしますが。

しかし、中には何で日本では女性だけがプレゼントできる日なんだとか思っている人もいるかもしれません。

自分も中学の頃そう思ったことがありましたwww

そのような声を知ってか知らぬか、お菓子会社は逆チョコなるものを流行らせようとしています。

男性が女性に渡すためのチョコなようです。

これが流行れば海外のバレンタインっぽくプレゼントを渡す日になるんでしょうかね?

いや、なんかもう、色々と意味わかんねぇw

逆チョコとか、結局自分が何を言いたいのか、そもそもバレンタインとかいう行事の存在意義とかねw

まあ結論はリア充うぜぇwwwということですねww

ところで、前回の最後にかいたようにゲームプログラミングの勉強を始めました!

今日からw

まあ千里の道も一歩からです。

数年後には立派なゲームプログラマーになっている……といいな。

一瞬頭の中を三日坊主という言葉がよぎりましたがきっと気の迷いでしょう。

2009 年 2 月 13 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもこんばんは。唐突ですが実は私には妹がいます。今は離れて暮らしていますがたまにほぼ毎日電話をします。本日話を伺ったところ、高校のお昼のミュージックタイムにネイティブフェイスが流れたそう…。何をやっているのだ北海道●葉高校(私の母校でもあります)。 しかし何というか「学校でこんなオタオタしい事してやったぜ!」→「ちょwおまw自重ww」見たいな流れはあまり好きではありません。単に迷惑or内輪ネタということではなく、俺はこんなこと知ってるぜやってるぜヒャッハーって感じが厨二病らしくて痛々しいのでしょうか? こんなサークルで活動しているのでやっぱりただの同属嫌悪なようなきもしてきました。

さてそんな流れもあってかなくてか、本の紹介をします。 『青年のための読書クラブ』桜庭一樹さんです。小説ですよ、短編小説集。題名に騙されてはいけません。最近では漫画化もしているようです。 ざっとあらすじも書きます。一片のネタバレもやだぜという方はこの先閲覧注意です。まぁ話したところでwikipedia程度ですが…。

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2009 年 2 月 11 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは、八索です。

さて、今でこそPCゲームの製作などに関わっていますが、私の本職はアナログゲーマーだったりします。TCGとかボードゲームとかTRPGとかが大好物です。

今日はそんな私のお気に入りのボードゲームを紹介します。その名もテラ

これはプレイヤーが各国の代表になって、国連の場で地球上の様々な危機を解決するゲームです……というのは表向きで、実態は地球を破滅させるゲームです。だがそれがいい。

ゲーム自体は非常にシンプルで、それぞれのプレイヤーは決められた枚数の手札を持ち、それとは別に、戦争や環境問題などの危機をあらわす場札があります。それぞれのカードには点数が書いてあります。

細かい部分は省略しますが、基本的に危機が発生するたびに(つまり新しい場札がめくれるために)プレイヤーが順番に手札を出していって、その合計点がその危機の点数を超えれば、その危機を解決できます。この際にパスすることもできます。危機を解決した場合、プレイヤーはそれぞれの貢献度に応じた得点を得られます。

問題なのは、最終的に危機を解決できる点数がたまらなかった場合、それまでに出された手札は全て捨て札となり無駄になってしまうこと。そして危機を解決するのに貢献したプレイヤーのうち、得点を得られるのは一部であるということです。

この縛りによって、「自分が手札を出せば解決できそうだけど、点数もらえないからやめとこう」というような思考が蔓延します。そうなると自分が先陣を切って解決に協力しようとしても、他のプレイヤーが協力してくれる保証がないため、さらに手札の出し渋りが横行し、問題は未解決のままに積み上がることに。

未解決問題が一定以上たまると地球は滅亡し、プレイヤー全員の敗北となります。この条件は最初から全員が把握しているわけですが、大抵は目先の利害にとらわれて滅亡への道をひた走ることになるわけです。

このあまりにも現実社会をリアルに反映したゲーム展開のせいで、「これはゲームではない」という声も聞こえます。実際のところろ、これは有名な「囚人のジレンマ」を、娯楽用のゲームとしてアレンジしたものと言っていいでしょう。ゲーム理論の教材にも持って来いじゃないでしょうか。

ちなみにこれはユネスコの協力を得て製作されたようで、売り上げの一部がユネスコに寄付されるようです。だから一応教育的な内容を意図しているようですが、その割りにプレイヤーが私腹を肥やしたりできたりと、あまりお子様向けとは言えないです。まあこのゲームほど人間のエゴによって地球は滅亡するということを実感できるゲームはないので、そういう意味では教育的かもしれませんが。意外とユネスコもブラックですね。

2009 年 2 月 7 日 | カテゴリー: 製作について

どうもJinniyah! 作ってます、です。

締め切りがComic1となっているため、随分まったりと製作しております。
締め切り延びたからと、ムービー入れてみたり、無駄に立ち絵動かしたり、などなど当初の予定よりかなりグレードアップしたものとなりそうです。
懲りすぎて完成しないんじゃ、とか思ってますが、きっと、完成はするはずです。
Comic1終了後委託販売に移行するかもしれないので、そのときはよろしくお願いします。

ところで、最近与党の一部で景気対策の財源として日本銀行ではなく、
政府が紙幣を刷り「政府紙幣」として、発行すればいい、という案がでているそうです。
頭悪すぎる……orz
円と同時流通させたら、円で払ったのに違う単位でおつりがきちゃうの、とか、料金表示が二種類になるの、とか、外国通貨との取引はどうするの、とか、自動販売機はどうなの、とか、ATMも使えないじゃん、とか、インフレしちゃうでしょ、とか……etc。
ちょっと考えるだけで、そんなことしたら日本終わるだろ、何考えてんだ、絶対無理です、ということも分かるはずなんですが。
与党の方々も夢を見るときがあるんでしょうね、きっと。
話し逸れましたね。
ではでは。

2009 年 2 月 5 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんばんは。今日はうつ病についての私見を述べようかと思います。

いまやうつ病は「病気」として社会的承認を得てますよね。病院に行って「鬱です。死にたいです。」とか

言うと診断書と薬が出るわけです。

しかしかつてはうつ病は病気ではなく単なる精神状態の一形態に還元されていたように思えます。

ひどい場合は甘えとして糾弾されたり。

で、何故うつ病が「病気」として認識されるようになったかと考えると、

この認識の変化と唯物論の社会への浸透との間に照応が見られるような気がするんですよね。(因果関係とは別)

つまり精神は脳という「臓器」の所産であり、鬱はその「臓器」の機能不全に起因するから病気であるという発想。

まあ診断書の通俗的威光にはよくお世話になっているので妄言はこのぐらいで。

2009 年 2 月 3 日 | カテゴリー: 製作について

nananaです。今日はあだざくらのきしずみさんの変遷を追います。なぜなら新しい絵を描いていないからですう><

いちばん最初の絵。なんとなく小生意気。ジャケットは深夜からもってきたりとかしてみたりとかしてみたりしていたようです。ボーダーあんまりかかないので描いてみたようです。

二番目。目から毒素が抜けました。いまはやりのでとっくすというやつですね。服は適当だったので適当なセンスです。いろいろとおんなのこらしくなられたようです。ていうかロリ。

どうしたあああ!?ってな三番目のきしずみさんです。たぶん装●といったモード系の雑誌にかもされていたようです。あっという間に別人です。案の定ダメ出しくらいました。

結局一番目のきしずみさんが完成版にいちばん近い訳ですがそこ!不毛な作業とか言わないように!このような紆余曲折を経てキャラクターが出来たり出来なかったりするみたいです。