2008 年 12 月 1 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

実際に活動してみてわかったことを挙げてみます.

  • ぎりぎりまで完成しないことが多いので,確定情報が少なく素材が揃わない
  • どの程度載せるかなど細々とした問題が多く,暇がある人がいても独断で動きにくい
  • 単純に他の製作が忙しく,web のためにまとまった時間がとれない
  • 誰でもできるというわけではなく,スキルある人にも(むしろあればあるほど)人気がない
  • 情報を載せすぎるとチープさが表に出てしまうため意識的に情報量を抑え期待感を持たせる

主要因っぽい部分をもっと一般化して言えば,商業ならほぼ確実にあるであろう,広報・営業・編集……みたいな部署分けがされておらず(そんなマネジメントみたいなことがやりたくて同人サークルにいるやつなんか滅多にいねぇ),基本的には全員が全員製作をやりたいというスタンスなので,優先度がガクッと落ちてしまうわけです.

ちゃんとやろうとすると内部での調整, web 用素材の発注などなど仕事が発生するので,ちょっと片手間にという程度の労力では済まなくなり,それで製作自体が疎かになるのは本末転倒だ,という当然の発想により手抜きになってしまうというわけ.

web ページは作品の顔みたいなもの,他に宣伝手段もないわけだし,力入れて入れすぎることはない,と思ってるんですが.ですが.ですがね…….

以上をもちまして 「永遠のSOの下に」 の web ページ製作が遅れていることの言い訳とさせていただきます!

2008 年 11 月 30 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

ブログのログをみてもらえばわかる通り,毎日更新とかいいながら微妙に毎日更新できていないわけです.

なぜか? もちろん,中が修羅場っているからである!(ここは自慢げにいうところ)

どれくらい修羅場かというと,今どれくらい修羅場かを説明するのが億劫になるくらいの修羅場だぜ!

でも,こういう,〆切が迫ってきたぁあああという状況で必死になってる瞬間というのが実は一番充実してるときだったりするんだよね(経験ある人はご存じの通り).後になってから思うことであって現在進行形で体感することは難しいですが.

仮に,後から振り返って 「あの時はよかった」 と思えることなら全て現在形でも 「よい」 と体験できるとするなら,人生はきっと幸せに満ちあふれていることでしょう.

すばらしい過去は誇張し,ほどほどの過去は美化し,どうしようもない過去は忘却し,時が全てを解決するようにできている人間精神の機構には感歎せざるをえません. そして死がまた全てを浚っていくのです.

とかいう,本当にどうでもいいことを,修羅場になると考えるものです.だからほら楽しい.

2008 年 11 月 28 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

新入生いらっしゃいまきびら没稿。なんという二重使い回し。

ルナ・ゲートの彼方を読了しました。いいね萌えるね燃えるね!蠅の王にハァハァし漂流教室を崇めてバトルロワイヤルカズオー!そうま!なわたしは未だ十五少年漂流記を読んだことのない粗忽者ですがSF版十五少年漂流記と銘打たれていますそうです。漂流記の部分はたいへん王道なのですがオチはまったくもってひどいよハインラインとしか言い様がない。現実味ありすぎて痛い反面物語の中の完結してる感といいますかきれいさってのはないんだけど、王道としての漂流記もの(?)がエンタメ要素とジュブナイルの夢に満ち溢れた感満載なのに比べ最後で突き放すハインラインに萌え。そしてキャラが立ってるのは漂流記ものの重要な特性です。

そしてシャーリィ・ジャクスンうはうはです。

2008 年 11 月 27 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

プログラムの命令や

フォトショップの機能は覚えられるのに

何で英語の授業が訳わかんないんだろう

■■

当方も我が居城たるホームページを持っておりまして、拙いながらもWebデザインなどを勉強して築き上げてみた訳なんですが。

ページの基本書式はphpです。
phpとはHTMLに加えて、perlに似た感じでHTMLに動的なアクションを加えます。(includeや自動出力程度しか使ってませんが)
Javascriptでマウス動作に反応した説明の表示やdivの表示非表示とかもやります。
それらをスタイルシートすなわちCSSで装飾します。画像も自前です。
そうやってページデザインのベースを作ったらMovableTypeでブログとして記事を表示する形式として、MT用のスクリプト(どこのdivでエントリー記事を繰り返すとか)を織り交ぜて完成です。
掲示板やWeb拍手など昔ながらのCGIで、言語は私が一番慣れてるPerlです。あるいはKENTさんとこから落としたものにアレンジを加えたり、あるいは自作したり。

つまり、一部かじった程度のものも多いとはいえ
HTML, php, Javascript, CSS, MovableType, Perl と、実に6種類の言語を操ってようやく一つのサイトができる訳です。
奇妙な事に、テンプレ使わずにページ作りたーいっていう人にとっては、おそらくこれがおそらく普通レベルなのが昨今のWebデザインのシーンです。(*1)
なんですが、

これって実はかなり大変なんじゃあないですかと。

いやもう、私なんぞW3C公式でチェックすればバリバリ文句言われるし、JSやPerlも書いた直後はバグばっかで動かんしで、もっと早く描けるようになればなあと度々嘆く。そんなへたれなプログラミングでも何とかサイト一個こさえるぐらいはできた。
6種類ですよ、6種類。Perlとphpは激似だし、一部省略しても2ー3言語分ぐらいはあるんじゃないか。
「簡単な日常会話なら母国語に加えてロシア語英語フランス語それなりに」って言う人がいたら私なら一目置く。
いやしかし、CGIなんて人によってはHTMLのヘッダ部分ぐらいしか弄る必要無いし、JSについても今はjQueryという便利すぎるものも出回ってるしで、じゃあHTMLとCSSだけでもいいのか。それでも2言語。
そんな事を、MTPerlScript内で外部.plをrequireしたらスクリプト内のMTタグがMTタグとして値の代入がなされずに文字列として扱われるみたいだからしょうがないので
print ‘<MTPerlScript>’.”¥n”;
print ‘for ($i=0;$i<’.$max.’;$i++) {‘.”¥n”;

とかやってた間に考えた。

そう
そこで最初に戻る。
何で私は外国語が一番の苦手科目なんだろう。
こういう事を伝えるにはこう書くだとか、そういうルールは言語もプログラムも似てるなあというのは時折感じるのに、プログラムにしか興味が持てない。根っからのパソコンオタ乙でした。

PS1.ナイアンデのページのソースとか綺麗すぎて泣けます。

PS2.「そもそもプログラム言語なんてわかりやすいヌルゲーと実際の言語なんて比べるもんじゃないだろ」というツッコミから導かれる結論は、つまる所私がもはやリアルの世界をバーチャルな次元に落とすことによってでしか捉えられない社会不適合者だという事です。

*1
MTがSBになったり、フラッシュ=ActionScriptを用いていたりと多少の差はありますが、(まずもって必要)HTML=CSS>(あると便利)JS>>>php>>>>>他、ぐらいの優先度はあると思います

2008 年 11 月 26 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは、某です。……ではなくて八索です。

学祭の後片付けやらでしばらく授業がなかったりしますが、昨日はちょっと手続きのため大学に行ってきました。諸事情あって見事に空振りに終わったのはヒミツです。

その後時間が空いてしまい、何もしないで帰るのはしゃくなので映画を見てきました。それも話題作とかでは全然なく、たまたま渋谷でやっていたザ・フー:アメイジング・ジャーニーというよくわからないチョイス。

タイトルの通り、60~70年代を代表するバンドの1つであるThe Whoの歴史を追ったドキュメンタリーです。映画館の中に入ると、予想通りというべきか、多分長年のファンなんだろうなという感じのおじさんとか、暇そうな大学生とか(お前もだ)、全くロックには縁のなさそうなおばあさんとか、とりあえず平日の昼間に映画を見る時間があるという以外の共通項が見出せない観客構成でした。

肝心の中身のほうですが、予想よりもずっと面白かったです。ボーカルのロジャー・ダルトリー、ギターのピート・タウンゼント、ベースのジョン・エントウィッスル、ドラムのキース・ムーンというメンバーそれぞれが個性的というのを通り越して破壊的なまでにエネルギッシュで、CDで音だけ聞くのに比べて映像を見るとずっとインパクトがありました。

興味を引かれたのは、現在のタウンゼントが以前のダルトリーを評して「ジョンとキース、それから俺も天才だが、あいつはただの歌手だった」というシーン。The Whoは元々ダルトリーが結成したバンドで、彼らは常にバンドの主導権を握ろうとしていましたが、他のメンバーの反発で逆に一度バンドから追放されてしまいます。それからダルトリーは心を入れ替え、The Whoの「声」になろうと必死の努力を重ねます。それはロックオペラ「トミー」で結実し、彼もThe Whoにとって唯一無二の存在であると認められるのです。

このような「凡人」ダルトリーと対照的なのが、卓抜したテクニックを持ちながらアルコールとドラッグにおぼれ、32才の若さで命を落とした「天才」ムーンです。彼には自宅を爆破したとかプールに車を沈めたとかよく意味のわからない伝説が数多く残されていますが、「狂っている」と評されたその超絶的なドラムプレイの通り、バンドに参加した当初から精神的な問題を抱えていたようです。そのような人物にとっては、スターとして得た金と名声は生活を狂わせ破滅へと向かわせるものでしかなかったのでしょうか。もし彼に才能がなければ、貧しいながらも世間並みの人生を送れていたかもしれません。しかしそうであったならば、彼の遺した音楽が彼の死後も輝き続けるということもなかったでしょう。「天才」であるがゆえに身を持ち崩したように見えるムーンとエントウィッスルという二人のメンバーの死を乗り越えて、悟りの境地に達したかのように穏やかに語るダルトリーを見て、表現者にとっての「才能」というのはなんなのかということを、物書きの端くれとして考えざるを得ませんでした。

2008 年 11 月 23 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもです。

先日、竜騎士07のトークショー(?)らしきものを聞く機会があったので、本当はその場にいる権利はなかったのですが、お話を聞いてきました。
一言で感想を言うなら。
へぇー……。
ですね。
あのときほど人の話を集中して聞いたことは人生で一度もなかった。
で、いよいよその内容のお話に移るわけですが、
しかし、竜騎士の創作に対する熱意がどうだとか、こういう経緯でひぐらしに至ったのだとかいう話はここではしません。
今更…? って、感じしますよね。
でも、それを語らなかったらトークショーの感想にならなくね? という感じもします。
ところが、そうとも限らないんですよね。
タイトルを見ての通り、竜騎士のファッションがここでのお題です。

まず、わたしが見たときの竜騎士の服は、チェックのワイシャツに、黒のネクタイ、黒のパンツに、茶色の皮靴、白い縁取りのある黒の外套、そして、言わずと知れたベレー帽。
非の打ち所がないくらいに、リア充で、オシャレな服。
隣に座っていたアルケミストの社長さんの地味さが余計に際立って、かわいそうになるほどでしたね。
ただ、室内で帽子を脱がないというのはどうかと思いましたが。

ではでは。

2008 年 11 月 20 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

夏休みの宿題。
というものを、私は世間一般が推奨するように、スケジュール通り、あるいは最初の方にまとめてやってあとはうはうはー、という事をやった試しがない。
私は土壇場にならないとあまり動けない人間なのです。
現に今私は何本かプロジェクトにまたがって作業してますし、商業だとか同人だとか作家的にやる事がけっこうあります。
それでものんびり漫画とか読んでる私がいるのです。
プログラム担当のW/Hさんはせかせかした生き方などまっぴら御免だという考え方なようですが、私は常日頃からもっとせかせかしたいと考えている人間です。

で。
忙しい忙しいと口では言いつつも、私はそんな人間ですから、本当の〆切前にならなければ力が入りません。
逆に言うと私は信じているのです。
土壇場になれば一発やってくれる妖怪が私の中に住んでいると。
現にここ数日、同人誌の〆切の為に私は後輩宅に転がり込み死ぬ気で作業を進めた結果、かつての11ページ/4日という自己記録を更新し、15ページ/5日を成し遂げました。
寝ては駄目だ、と必死に自分を言い聞かせつつ、ミンティアやワサビ(注:ワサビは顔に塗り付けて使う)という眠気覚ましアイテムに自らを浸け、何とかやってやりました。
らき☆すたに興味のある人は是非、次の24日月曜日に川崎で開かれる陵桜祭6かー9 「 前方不注意 」まで是非起こしください。
じゃなくて。
とにかく私の中の妖怪が今回も頑張りました。
そう、ダラダラ作業などしたくないから私は作業時間を「11月初めから〆切の17日までに32P書き上げる!!」とあらかじめ決め、自らの妖怪に賭けた、ともいいます。
その為の前準備は常に万全。マクロツールによる大量の自作マクロを左手のキーにひたすら集中させて駆使するコミックスタジオの技術は自分でも凄まじい域に達していると自負しているし、時間とクオリティという両荷物の中から最適解を見つけ出すのもだいぶ慣れてきました。
「もっと計画的に作業していれば」と妖怪が何度も呪いの言葉を吐いたようですが、そんなものは過ぎてしまえばなんと言うこともない。
そんな妖怪になれる時間が私は大好きなのです。

でも

だからといって、ですよ。

頭のいい人なら普通は〆切一週間前にPoseManiacsがローカルであればもっと作業早まるんじゃね?といきなりローカルCGI環境を構築して自作スクリプトをこしらえたりはしない

そして自己満足の為だけのバージョンアップとかもしない。

2008 年 11 月 19 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうも、です。

ターゲットを絞ることってのはやはり大切なことですよね。
どんな層に自分の作ったものが受けるのかというのを想定しないとどうしても中途半端なものになりがちです。誰からも好かれようなんて虫のいいことは思っちゃいけないということです。
では、お前はどんな層を狙っているのかと聞かれれば、そりゃあもちろん
小さな子供たち志を同じくする人々ですよね

豆腐にきな粉をかけて食べると、なんとかけたところとかけないところとで味に変化がない、という新事実をブログ書きながら発見しましたので追記します。

ではでは。

2008 年 11 月 18 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

この間のテキスト量の話に関連して,テキストエディタについて語ります.

さすがにメモ帳で十分だぜーと思う人は少数派でしょうが,日本 Windows 文化圏でも色々流派があるようで.

TeraPad とかサクラエディタとか EmEditor とか秀丸エディタあたりが大御所だと勝手に認識しています.

俺はというと秀丸使いでして,理由はと問われれば,親父が秀丸使いだったからですね.それだけです.継承しました.

あと俺の実家と作者である秀まるおさんの出身地が近いということもあるかもしれません.本当にどうでもいいですが,どのソフトウェアを使っているかなんていうこだわりは,往々にしてその程度のことで生まれるもんです.一度慣れると別の環境に行きたくなくなりますし.

機能的には,言い出せば多分,秀丸エディタが他より劣る部分というのはあるんでしょうけど,実作業をする上でまったく不満を感じていないのでより最適なエディタへ乗り換えようという気は今のところありません.

Ctrl+Alt+H N で常駐秀丸から新しい秀丸ウィンドウを開いて,Ctrl+N で 3 つくらいに増やして,Alt W H で横方向に並べて,Ctrl+Tab で秀丸間フォーカス移動をしながら色々な編集をする,というスタイルがお気に入りです.ショートカットキーはデフォルトのものなので,暇な人はお試しあれ.

ちょこっとメモを打つだけなら文字通りメモ帳で事足りますが,長大なテキストを編集したりファイルのオープン,クローズが頻繁な作業をする場合なんかはテキストエディタの良し悪し,そのエディタへの習熟度で作業効率が相当に変わってくるので,物書きはテキストエディタと友達になるべきですね.

まあ俺の場合は,小説を書く以前にプログラムを書いてた人間なので,そっちの需要でお友達になりましたけど.

2008 年 11 月 16 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

現在の製作ではシナリオを担当しているため,鬼のようにテキストを打っております.

テキストデータはプログラミング etc でも作るわけですが,それにしてもシナリオのテキスト量はソースコード等の比ではない.こんな量のテキストデータを入力するのは生まれて初めてです.

具体的に 「永遠のSOの下に」 ではテキストが既に 1MB に突入して久しいです.まあライターが 3 人いるので,一人で全部書いたわけでは全然ないんですが.

C75 予定の他の作品は短編ということになっていますが,それでも 200 KB とかはあると思います.

KB や MB で言われてもピンと来ないかもしれないので 400 字詰原稿用紙に換算すると,1MB というのは原稿用紙 1,250 枚分に相当します.それも,きっちり詰めて.

量が多けりゃいいってものではないだろ,と言われないように今はもっぱら質のことを考えて製作に励んでいますが,それでも日々入力されるテキストの量はなかなかのもので.このブログ記事のテキスト量が塵に思えますね.ほんと.