2009 年 2 月 18 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

 ごきげんよう、おまいら。

 

 ここ最近特になのだけれど、睡眠時間が長いことが問題になっているわ。基本的には7時間、可能ならば7時間半は寝たいところだけど、実際のところ6時間あるいはそれ以下しか寝られないことが増えているの。そうなると結局無理がたたってどこかで10時間以上寝てしまうわけね。

 睡眠時間が長いことに関しては、私の脳はあなた達の脳と違って高性能だから、クールダウンする時間が多めに必要ですのよ、という感じで開き直って短くするつもりはないのだけれど。実際に、脳が高性能云々は脇においておくとしても、睡眠あるいは夢がその日起こった出来事を脳内で整理するうえである種の役割を果たしているということは指摘されているわ。私は能動的になにか情報を得ようとすることは少ないのだけれど、周りの状況や自分の触れた情報などは最大限吸収しようとするらしいので、そういった記憶の整理に時間がかかっているということにしておくわ。

 

 そろそろ眠くなってきたわ・・・。今日はまともなこと書いてないけど、この辺で勘弁してあげるっ!

 

 

・・・むにゃ。

 

2009 年 2 月 17 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもこんにちは.音楽担当のじゃんく♂です.

このようなサークルで音楽担当をやっているにも関わらずこういうことを言うのも若干気が引けるのですが,僕はどうもBGM製作というものが苦手だったりします.
BGMというのはその名の通りバックグラウンドの音楽であり,所与の世界やモチーフを強化し,浮き立たせるために用いられる音楽ですよね.もちろん多少の主張は許されるにしても,あくまで背景なわけです.
が,その所与の世界観に適合し,かつその雰囲気を保ったままモチーフの輪郭を強調するような音楽というのは難しいもので,僕のスキルなんぞではそもそも世界観はおろか,もっと限定してその場のシチュエーションに適した音楽でさえ作るのに労を要するのですよ.

大体与えられたテーマで何かを表現するというのが押し並べて苦手のようで,大学のレポートなどでも与えられたテーマをどうにかこうにか都合よく解釈し,自分の得意分野に持ち込んですき放題かいていたものです(認知科学の問題なのにロリショタの事を書いたり
そんな怠け癖がたたったのか,いざ製作で「ちょっと○○な雰囲気の曲書いてよ」と言われても,まずその意図に合ったものができません.今までも日常のイメージで曲を書いたら「これはエンディングだな」と言われ,哲学っぽいイメージで曲を書いたら「これは哲学っていうか砂漠だな」と言われる程度には酷いです.

スキル云々は置いておくとして,原因を考えて見たところやはり僕の製作に対する意識の問題なんですよね.
「創作は究極の自己表現だ」と言っている方がいましたが僕もそれには同意で,やはり創作というのは自分の価値観だったり哲学だったりの表出作業という面を持つわけで,如何に「自分」を出すかということに帰着させてもいいくらいのものだと僕は思っているわけなのです.
ですから,はっきり言ってBGMの製作じゃ自己の世界を表現するという点で「物足りない」んですよね.

冒頭でも述べたように,BGMは背景であって主役ではありません.場合によっては,メインの世界に引き込まれた受け手にとってはあたかもトロクスラー効果のごとく,知覚の埒外にすら追いやられることさえ危惧されるのです.もちろん,作品全体の中で統制のとれたイメージ作りの一環として「つなぎ」の役割で自分の音楽が使われることは吝かではないですが,それでは自分の世界を遺憾なく表現するという僕の表現者としての目的は達せられません.

だから僕が作りたい音楽は,既存の何かの味付けではなく,音楽それ自体で独立したストーリーを持ち,内部で完結した一個の作品なのです.
そこでは作者である僕は,制約に服することなく自由に音を並べ,僕の世界そのものを表現することができます.そしてそれが,僕が創作で本当にやりたいことなのです.

なんだか読みようによっては「こんなとこでBGM製作なんかやってられっか!もう抜けてやるもんねー!」という主張として受け止められるやもしれませんが,それは全く僕の意図するところではなく,むしろBGMらしいBGMが碌に作れなくて申し訳ないという謝罪(言い訳?)の意味合いが強いです.作り手にとっても,僕が担当した作品の受け手にとっても,です.
何だかんだ言っても,自分の音楽が作品の一パーツとして使ってもらえて,さらにそれが広まることで自分の音楽を聞いてもらえるというのは嬉しいことには違いありませんので,どうにかこうにかBGMとしての体裁を保ちつつ,かつ自己表現ができるような曲を作っていきたいという所存であります.

さて,最後に直近の僕の製作曲を紹介して終わることにしましょう.

「roulette girl」

ノベルゲームのBGMなんかにしたら間違いなく匙を投げられるレベルだというのがお分かりかと思います.
「主張しすぎてうざいBGM」を作るのに定評のある僕ですが,そろそろ何とかしないとサークル内での地位が危うくなってくるので,媚を売ったような普通のBGMを作りたいものですね.

それでは,また次の僕の担当のときにお会いしましょう.
じゃんく♂でした.

2009 年 2 月 14 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

日本ではバレンタインというのは女性が男性にチョコレートをあげる日となっていますが、

海外では全然そんなことなくて普通に男性が女性にプレゼントをしたりするらしいです。

じゃあ何故日本ではそのような習慣になっているのかというと、お菓子会社の売上を上げるための策略だそうです。

まあ有名な話な気がしますが。

しかし、中には何で日本では女性だけがプレゼントできる日なんだとか思っている人もいるかもしれません。

自分も中学の頃そう思ったことがありましたwww

そのような声を知ってか知らぬか、お菓子会社は逆チョコなるものを流行らせようとしています。

男性が女性に渡すためのチョコなようです。

これが流行れば海外のバレンタインっぽくプレゼントを渡す日になるんでしょうかね?

いや、なんかもう、色々と意味わかんねぇw

逆チョコとか、結局自分が何を言いたいのか、そもそもバレンタインとかいう行事の存在意義とかねw

まあ結論はリア充うぜぇwwwということですねww

ところで、前回の最後にかいたようにゲームプログラミングの勉強を始めました!

今日からw

まあ千里の道も一歩からです。

数年後には立派なゲームプログラマーになっている……といいな。

一瞬頭の中を三日坊主という言葉がよぎりましたがきっと気の迷いでしょう。

2009 年 2 月 13 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうもこんばんは。唐突ですが実は私には妹がいます。今は離れて暮らしていますがたまにほぼ毎日電話をします。本日話を伺ったところ、高校のお昼のミュージックタイムにネイティブフェイスが流れたそう…。何をやっているのだ北海道●葉高校(私の母校でもあります)。 しかし何というか「学校でこんなオタオタしい事してやったぜ!」→「ちょwおまw自重ww」見たいな流れはあまり好きではありません。単に迷惑or内輪ネタということではなく、俺はこんなこと知ってるぜやってるぜヒャッハーって感じが厨二病らしくて痛々しいのでしょうか? こんなサークルで活動しているのでやっぱりただの同属嫌悪なようなきもしてきました。

さてそんな流れもあってかなくてか、本の紹介をします。 『青年のための読書クラブ』桜庭一樹さんです。小説ですよ、短編小説集。題名に騙されてはいけません。最近では漫画化もしているようです。 ざっとあらすじも書きます。一片のネタバレもやだぜという方はこの先閲覧注意です。まぁ話したところでwikipedia程度ですが…。

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2009 年 2 月 11 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは、八索です。

さて、今でこそPCゲームの製作などに関わっていますが、私の本職はアナログゲーマーだったりします。TCGとかボードゲームとかTRPGとかが大好物です。

今日はそんな私のお気に入りのボードゲームを紹介します。その名もテラ

これはプレイヤーが各国の代表になって、国連の場で地球上の様々な危機を解決するゲームです……というのは表向きで、実態は地球を破滅させるゲームです。だがそれがいい。

ゲーム自体は非常にシンプルで、それぞれのプレイヤーは決められた枚数の手札を持ち、それとは別に、戦争や環境問題などの危機をあらわす場札があります。それぞれのカードには点数が書いてあります。

細かい部分は省略しますが、基本的に危機が発生するたびに(つまり新しい場札がめくれるために)プレイヤーが順番に手札を出していって、その合計点がその危機の点数を超えれば、その危機を解決できます。この際にパスすることもできます。危機を解決した場合、プレイヤーはそれぞれの貢献度に応じた得点を得られます。

問題なのは、最終的に危機を解決できる点数がたまらなかった場合、それまでに出された手札は全て捨て札となり無駄になってしまうこと。そして危機を解決するのに貢献したプレイヤーのうち、得点を得られるのは一部であるということです。

この縛りによって、「自分が手札を出せば解決できそうだけど、点数もらえないからやめとこう」というような思考が蔓延します。そうなると自分が先陣を切って解決に協力しようとしても、他のプレイヤーが協力してくれる保証がないため、さらに手札の出し渋りが横行し、問題は未解決のままに積み上がることに。

未解決問題が一定以上たまると地球は滅亡し、プレイヤー全員の敗北となります。この条件は最初から全員が把握しているわけですが、大抵は目先の利害にとらわれて滅亡への道をひた走ることになるわけです。

このあまりにも現実社会をリアルに反映したゲーム展開のせいで、「これはゲームではない」という声も聞こえます。実際のところろ、これは有名な「囚人のジレンマ」を、娯楽用のゲームとしてアレンジしたものと言っていいでしょう。ゲーム理論の教材にも持って来いじゃないでしょうか。

ちなみにこれはユネスコの協力を得て製作されたようで、売り上げの一部がユネスコに寄付されるようです。だから一応教育的な内容を意図しているようですが、その割りにプレイヤーが私腹を肥やしたりできたりと、あまりお子様向けとは言えないです。まあこのゲームほど人間のエゴによって地球は滅亡するということを実感できるゲームはないので、そういう意味では教育的かもしれませんが。意外とユネスコもブラックですね。

2009 年 2 月 7 日 | カテゴリー: 製作について

どうもJinniyah! 作ってます、です。

締め切りがComic1となっているため、随分まったりと製作しております。
締め切り延びたからと、ムービー入れてみたり、無駄に立ち絵動かしたり、などなど当初の予定よりかなりグレードアップしたものとなりそうです。
懲りすぎて完成しないんじゃ、とか思ってますが、きっと、完成はするはずです。
Comic1終了後委託販売に移行するかもしれないので、そのときはよろしくお願いします。

ところで、最近与党の一部で景気対策の財源として日本銀行ではなく、
政府が紙幣を刷り「政府紙幣」として、発行すればいい、という案がでているそうです。
頭悪すぎる……orz
円と同時流通させたら、円で払ったのに違う単位でおつりがきちゃうの、とか、料金表示が二種類になるの、とか、外国通貨との取引はどうするの、とか、自動販売機はどうなの、とか、ATMも使えないじゃん、とか、インフレしちゃうでしょ、とか……etc。
ちょっと考えるだけで、そんなことしたら日本終わるだろ、何考えてんだ、絶対無理です、ということも分かるはずなんですが。
与党の方々も夢を見るときがあるんでしょうね、きっと。
話し逸れましたね。
ではでは。

2009 年 2 月 5 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんばんは。今日はうつ病についての私見を述べようかと思います。

いまやうつ病は「病気」として社会的承認を得てますよね。病院に行って「鬱です。死にたいです。」とか

言うと診断書と薬が出るわけです。

しかしかつてはうつ病は病気ではなく単なる精神状態の一形態に還元されていたように思えます。

ひどい場合は甘えとして糾弾されたり。

で、何故うつ病が「病気」として認識されるようになったかと考えると、

この認識の変化と唯物論の社会への浸透との間に照応が見られるような気がするんですよね。(因果関係とは別)

つまり精神は脳という「臓器」の所産であり、鬱はその「臓器」の機能不全に起因するから病気であるという発想。

まあ診断書の通俗的威光にはよくお世話になっているので妄言はこのぐらいで。

2009 年 2 月 3 日 | カテゴリー: 製作について

nananaです。今日はあだざくらのきしずみさんの変遷を追います。なぜなら新しい絵を描いていないからですう><

いちばん最初の絵。なんとなく小生意気。ジャケットは深夜からもってきたりとかしてみたりとかしてみたりしていたようです。ボーダーあんまりかかないので描いてみたようです。

二番目。目から毒素が抜けました。いまはやりのでとっくすというやつですね。服は適当だったので適当なセンスです。いろいろとおんなのこらしくなられたようです。ていうかロリ。

どうしたあああ!?ってな三番目のきしずみさんです。たぶん装●といったモード系の雑誌にかもされていたようです。あっという間に別人です。案の定ダメ出しくらいました。

結局一番目のきしずみさんが完成版にいちばん近い訳ですがそこ!不毛な作業とか言わないように!このような紆余曲折を経てキャラクターが出来たり出来なかったりするみたいです。

2009 年 2 月 3 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんばんは。どうでもいいですが、今年の2月は、日曜日始まりのカレンダーできっちり4段に収まっているんですよね。ただでさえ短い2月が余計に短く見えてびっくりです。

今日は、ニコニコのおすすめ動画を紹介しつつ、映像メディアの特性について考えてみようと思います。紹介するのは、「MOBの人」シリーズの1作です。

動画を見てもらえばわかりますが、このシリーズはアニメのモブキャラをとりあげて、弄ったりいちゃもんを付けたりするというものです。上のものは作者の妄想力が最大限に発揮された、シリーズ中でも出色の出来というべき作品です。とくに百合系のひとはぜひ見るべきです。その理由は最後まで見ればわかります。

ぼくは主に小説やエロゲといった文章メディアで育ってきたので、映像メディアにはなんとなく苦手意識のようなものを感じていました。かってに話を一般化するのはあれですが、世代論的にいっても、エロゲ全盛期に趣味を形成した80年代後半生まれのオタクには似たようなひとが多いのではないかと思います。そんなわけで、映像メディアに対してはいまいち勘所がつかめないまま今にいたるわけですが、この動画は映像メディアに特有の豊饒性というものを教えてくれるように思います。

それは、たとえば小説というメディアで同じようなモブキャラいじりができるかどうか考えればわかります。当然できないはずです。それは、モブキャラというのは意味を持たない記号で、意味を持たないがゆえにこの動画のように恣意的な物語を読み込むことが可能になるわけですが、このような意味を持たない記号は映像メディアにのみ存在しうるからです。その理由は、文章メディアでは視線の存在それ自体がかならず意味を持ってしまうという点に求めることができるでしょう。

たとえば、「僕は廊下を歩いた。廊下にはふたりの少女が立っていた。少女のひとりは(略)」という文章があったとして、文章メディアでは、ここで「ふたりの少女」に注目し、描写しているという事実自体に、「ふたりの少女」がなにかしらの形で物語に関わってくるよ、というメタメッセージが宿ってしまうはずです。一人称形式の場合、それに加えて視点人物が「ふたりの少女」に興味を持ったということをも意味します。したがって、「ふたりの少女」がその後いっさい話に関わってこなかったとしたら、その描写はたんに不要なものとして読者に違和感を与えてしまうだけでしょう。つまり、文章メディアには、技法上、意味のない記号の居場所はありません。

いっぽう、映像メディアでは、モブキャラのような意味のない記号が背景として積極的に要請されます。そこではむしろ、モブキャラの不在が積極的な意味を持ってしまいます。たとえば、休日の商店街のシーンでモブキャラが一人もいなければ、それはまるでゴーストタウンやシャッター街のように見えてしまうでしょう。場面を正しく演出するためには、適切な量の記号をそこに配置する必要があるわけです。

この違いは、つきつめると、かたや言語、かたやカメラという二つの表現手段の差異に由来するのでしょう。よく知られているように、言語は固有の負荷を持つので、事物に対して絶対に中立ではありえません。なにかを描写することそれ自体がなんらかの意味を持ちますし、言葉の選び方にも意味が宿ります。一方カメラは、その方向や焦点の位置にこそ撮るものの意図が混入しますが、視野に含まれる事物にたいしては中立的で、取捨選択は発生しません。主人公も生徒Bも、カメラのレンズに収まる限りにおいて等しく存在が認められるのです。

このようにして、意味を持たない記号たちの居場所が生まれます。かくして誕生したモブキャラたちに、わたしたちは妄想の翼を広げ、物語を吹き込むことができるのです。ここに、意図せざるなにかが映りこむ映像に特有の豊かさ、余剰なものの美学を見出すことができるでしょう。

とか書いてたらみなみけ見逃したわけですが!内田かわいいよ内田!

2009 年 2 月 2 日 | カテゴリー: 製作について

ようやくプロジェクトが一段落したの(か?)で、内部で利用するシステムの整備にやっと取り掛かれて幸せな技術担当現在約一名後継者超絶募集中の W/H ですこんにちは。

適当にネタを考えるとやっぱりなんか技術系の話しか浮かばないので、今日はノンリニアのシステムについて少しどころか割とたくさん書きます。他のサークルさんの参考になれば幸いですが多分参考になりません。

はい、それで、システムです。たかが同人(笑)サークル(笑)がシス(笑)テム(笑)とか(笑)という感じではありますが実際問題として 10 をゆうに越えている各メンバーが共同作業をするためにはなんらかの準備が必要です。

数名規模のサークルさんですと、恐らく、

  • IM (インスタントメッセンジャー)を筆頭に個人ベースのコミュニケーションツールを利用して連絡を取りあう
  • ファイル等は必要が生じた時点で個人的にメールや IM 利用で送りあう
  • 代表一名が全体の進捗や外部へのめんどくさいあれやこれやを担当する

という感じでなんとかなるんで、なんとかすればいいよねとしかいいようがないんですが、人数がもうちょっと増えると容易に破綻します。そこでうちでは

  • サークル内専用のチャットシステムで連絡を取り合うことを基本とする
  • ファイルは内向き svn 等の利用でシェアする
  • 分割できる雑用(=直接の製作以外のこと)は担当を決め、wiki ベースで情報管理する

と枠組みを作って、なんとか情報を整理しつつ全体に行き渡らせようとがんばっております。

まずチャットについて。これを使えーと指定するのは窮屈な面もあるんですが、話し合われた情報が一元管理できることはとてもとても重要です。IM 利用ですと誰が誰とどんな議論をしどんな決定がなされたのか、その他の人に不透明です。ログを逐一公開すればいいとはいえ超面倒です。後から何かトラブルがあった場合などは、言った言わない論争になりかねません。

そんなわけで内向きの専用チャット。ログ管理機能がついたチャットシステムを使えば、情報管理もぐっと楽になります。まあ古き良きブラウザチャットはさすがに使いたくないので、普通ですと IRC あたりを利用すればクライアントも豊富にありますし困ることはないと思います。

この段落は宣伝というか俺の自己満足ですが、ノンリニアでは(今は内向きに専用サーバーを立てていますが)サーバサイドプログラムはその辺のレンタルサーバーでも動かすことができるように php で書いた独自のものを使っています。comet という擬似的に http でサーバからの push を実現するちょっとした手法ががあって、それを利用するとそれなりに高速なレスポンスのチャットサーバが http ベース、スクリプト言語で作れます。

続いてファイル共有。これも自宅サーバや、立派なレンタルサーバが利用できる環境、およびそれなりに知識を持った協力者がいるのであれば、 Subversion なり Mercurial なりを導入することで多人数での共同作業効率が 10 倍くらいになります。それぞれの利用者がシステムのことを理解していなければ使えないのは頭が痛いところですが。ノンリニアではがんばって説明しながら、Subversion を使っています。

そこまでできない、という場合も、最近は dropbox などのよくできたオンラインサービスが無償で使えたりするので、一考の価値はあります。アップローダなどを利用するのでもいい気はしますが、複数ファイルを同時に扱うのが少々難しいです(いちいちアーカイブするとか面倒)。

最後にドキュメントや渉外などの細かい情報管理ですが、wiki を使うと便利です。 ノンリニアでも当初は掲示板を利用していたのですが、今では wiki にその役割を吸収されました。

正直なところ、あまりリアルタイム性のない共同製作ならば、情報交換からファイル共有、ドキュメント管理までそのほとんどを wiki ベースでやってしまうこともできるだろうと思います。wiki くらいならば無償のレンタルサービスで手軽に使えるので、準備らしい準備も要りません。

そんなところでしょうか。グループウェアをドンと導入すればそれぞれを別個に準備しなくて済むのですが、当サークルでは別なので。

その他にもその時々のニーズでちょっとしたプログラムを用意するということはしてきました。拾い物でもなんとかなるのですが、内製することが多いです。

次回俺が書くときには(いつだろう,結構先だ)その辺りのことをネタにしてみようかと思います。お楽しみに(だからいつだ)。