2009 年 3 月 10 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは。二日連続になりますが、今日もTCGネタです。

小沢行方不明事件のおりに脳裏に浮かんだ、

Trap of ** / ○○の罠 (1)(自)
ソーサリー
対象の野党議員1体を政界から取り除く。

とかいう妄想MTG風カードをきっかけにして広がった政界MTGの構想を、せっかくだからここでさらしてみようと思います。MTG知らないひとはごめんなさい。

基本ルール

MTGに準拠する。

ゲーム→政界
場→国会
土地→地盤
クリーチャー→議員
ライブラリー→資金源
破壊→抹殺
ライフ→支持率

みたいな感じで読み替えるといいかも。

勢力

政界MTGには以下の勢力(色)が存在する。

(自)

いわずとしれた政界MTG現スタンダードの最大勢力。議員のパワー、スペルの質などあらゆる面で他勢力を凌駕する。強力な地盤カードによって供給される潤沢な資金を用いて、<二世議員><族議員>などの特殊能力を持つ議員カードを大量展開し、さらに<裏金><パーティー券>ソーサリーによる大量ドローからもたらされるカード・アドバンテージで対戦相手を圧倒する、力押し戦略を得意とする。最新エキスパンションで発表された≪政府紙幣≫カードのあまりの壊れっぷりが話題となったことは記憶に新しい。
壊れたカードが多いにもかかわらずなぜか禁止されないことで有名。

政府紙幣 (2)(自)(自)(自)
エンチャント
アップキープ・ステップの開始時に、あなたは好きなだけカードを引いてもよい。

(民)

政界MTG現スタンダードの第二勢力。対(自)カードを多く有することから(自)デッキに対するアンチデッキとしてメタの中心に躍り出るかと思われたが、(民)議員に対する優秀な単体除去である≪Trap of **/ ○○の罠≫の登場によりその期待は潰えた。

失踪するもの、小沢 (4)(民)(民)
伝説のクリーチャー ― 議員
失踪するもの、小沢が呪文や能力の対象となったとき、それを政界から取り除く。
5/5

(官)

打ち消し呪文を連打することにより相手の行動を妨害するパーミッション戦略を得意とする。また、(官)クリーチャーは<天下り>能力を持つため、破壊されてもすぐに場に戻ることができる。(自)の強力なアンチカード≪聖域なき構造改革≫の登場により弱体化が危惧されたが、依然としてメタの一角を占有している。

癒着する高級官僚 (2)(官)(官)
クリーチャー ― 官僚
天下り(このクリーチャーが場から墓地に置かれたとき、あなたが外郭団体をコントロールしている場合、このクリーチャーを場に戻してもよい)
3/3

(社)

かつては(自)にならぶ一大勢力を誇っていたが、<55年体制の崩壊>エキスパンション以降、カードパワーが激減し、スタンダードのトーナメント・シーンからは姿を消した。現在ではエターナル環境でのみその姿をみることができる。

(共)

政界MTG日本版ではたいした影響力を有していないが、一部に熱烈な愛好者が存在する。

サークルブログってことで、ネタにするとやばそうな勢力は省略したんだぜ。次期エキスパンションに収録されるかもしれないので乞うご期待。

2009 年 3 月 8 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

たまには予告取り下げて書いてみるです.タイトルにあります通り,TCG(トレーディングカードゲーム)って割とアルゴリズムの塊だよねみたいな話.

なにゆえいきなり TCG とか持ち出したかというと,バトルスピリッツというちびっ子に大人気なのかどうか知らないけど少なくとも新進気鋭な感じの子供向け TCG がありまして,俺が個人的に最近それを始めたからです.子供向けといいつつプレイヤースキルが即勝敗に結びつくような所があるゲームで,今のところ楽しめております.1 ゲームが MTG などと比較して短くて(ライフ 5 しかないので 5 回攻撃通したらゲームセット)さくっとやれるのも良いです.

……とバトルスピリッツの宣伝はこの辺でいいとして,例えば次のようなところがアルゴリズムチック.

スタック

なんと言ってもこれからでしょう.MTG のインスタント呪文とかに代表されるように,TCG ではよく効果の解決順を決定するときに目には見えないスタックを利用します.

これはまんま計算機科学でいうところの LIFO データ構造・入出力方式であるスタックのことで,TCG で目に見えないそれに親しんでいると,スタックに対する感覚は自然に磨かれます.しかしやはり初めて触れると難しく感じるようで,小中学生が MTG をやるとまず躓くポイントでもあったりはします(他人事ではなくて,自分も中学生のとき初めはわからなかった).

残念なことに前出のバトルスピリッツでは小中学生層をメインターゲットにするためか,スタック構造を採用してしません.インスタントタイミングらしきタイミングで呪文打てることは打てるんですが,その呪文をインタラプトしてさらに別の呪文が……ということは起こりません.打たれると都度解決されます.残念な感じです.例外はありますが.

シャッフル

カードを切る方法によって混ざり方が変わりますが,あの切り方とてもアルゴリズム的だといえます.

ヒンズーシャッフル(両手でしゃかしゃか切る日本的デフォルト)は上から n 枚をまとめて新しい配列に unshift していくアルゴリズムといえますし,ディールシャッフル(机の上にいくつか山を作るようにカードを置いていく方法)はインデクスの n を法とする剰余を使って要素をグルーピングすることの再帰でシャッフルを試みるアルゴリズム,パーフェクトシャッフル(初めに山を二等分して,1 枚ずつ噛み合わせる)なんかも同様です.

シャッフルする際にものすごくランダムにぐしゃぐしゃと混ぜることは少なく,上記したようななんらかの法則に則ってシャッフルするのが一般的で,むしろ適当にぶちまけるシャッフルよりそういうアルゴリズム的シャッフルの方が「うまい」ランダム性が保証されるような気になるのが面白いです.実際は元の並びから距離のある並びになるという意味で「混ざる」ことは混ざっても,ランダム性はいまいちなわけですが.

こういうところから,パーフェクトシャッフルを何度も繰り返すと元の並びに戻るんじゃない? なんていう興味が湧いて,入試問題になったりするんだと思います.

ソート

シャッフルに対するものとしてのソートも TCG においてはよく行うことになります.プレイ時ではなく主にコレクション時に.TCG ならではです.

計算機科学的に色々なソートアルゴリズムがありますが,TCG の整理時に人がやる操作もその中のどれかによく当てはまります.

カードの束の中から,先頭のカードをどこに入れるべきかと束の中をみていってよさげな位置に挿入する……というようなことはバブルソート的(他のカード弄らないのでちょっと違うけど)だといえますし,一番小さい数字のカードは何かな,と見てから並べていくのは選択ソート的だといえます.さらに,山が大きくて手に持ちきれないからと,それぞれの山についてまずソートするというようなことをしたとすればマージソート的,

しかし恐らく TCG 整理において一番よく使われているのはバケットソートでしょう.カードの「色」でまず山を分けることにして,一枚ずつ処理.その後それぞれの山について「コスト」で山を分けて整理,最後に「カード番号」で整理,それらを束ねればできあがり,と,これは「的」でもなく正真正銘本物のバケットソートといえます.

と,まだまだありますが長くなったのでこの辺にしておきます.興味ある人は他に何があるだろうかと考えてみると面白いかもしれません.

まとめると,主にカードを並べた配列を扱うのでこうしたアルゴリズムに繋がってくるわけですね.

こんなことを意識しながら TCG をプレイする気持ち悪い人間は多くないと思いますが,そうでなくても単に効率よく楽しく遊ぼうとしているだけでこうした知識が感覚として徐々に体に染みてくることはある気がします.

TV ゲームで遊んでいてもそういうことはまずないので,モノや手を使うこういう遊びの特筆するに値するメリットだと思います.

TCG に限定していえば,さらに確率計算やら色々な要素を考え合わせてのデッキ構築やらとなかなかに知的な活動を要求されるので,頭の体操にもなって一石二鳥です.

バトルスピリッツ歴史浅くてカード集め楽で安くていいですよ.……と結局バトルスピリッツの宣伝になったところで今回も終わりです.また今度.

2009 年 3 月 8 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

 ごきげんよう、おまいら。

 

 というわけでタイトルどおり今実家にいる、正確に言うと明日実家から東京に行くわけだけど。一人暮らしの人は家事をやらなきゃいけない(というわけでは必ずしもなさそう)ので、

 実家に帰る→炊事洗濯オート→時間が増える 

 という流れを期待したのだけれど、実際にはそんな甘いことはありませんでしたよ。

 私は実家に自室を持っていない(なにかの調査によるとそっちの方が成績があがる・・・らしい)のだけど、一人暮らしに慣れると周りの家族の目が気になるというか、作業がはかどらないのね。というよりそもそも作業に手をつける気にならないというか。というのは言い訳で作業やる気がない、いうことは言わないお約束よ。実家にはマターリさせる魔力があるんだわ! きっとそうよ! そういうことにしなさい! というわけで実家は素敵なところなので、家族関係が荒んでいない方は帰省することをお勧めするわ。旅は精神の若返りの泉というしね。

 というわけでまた400kmほど移動してくるわ。

 あなた達も素敵な旅をするといいと思うわ。

 

 きょ、今日はこの辺で勘弁してあげる!

2009 年 3 月 6 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは.音楽担当のじゃんくです.今日の言いたいことはタイトルに集約されているのでそれを読んで満足した方はどうぞお帰り下さい.

さて創作者かつ表現者の端くれである僕としては,やはり自分の担当である音楽を用いて自己表現をしていきたいわけですが,何分音楽は作るのに時間がかかりますね.
もちろんこんなことは自明であり今更改めて主張するようなことではないのですが,このブログの絵師さん達が記事と一緒にラフなり何なりを気軽に(というと怒られるかもしれませんが;)載せているのを見ると少し羨ましくなってしまいます.
あれらの絵をどれくらいの時間で描いているのかは知りませんが,僕の知る限りラフ絵くらいならささっと描いてしまう方が多いですし(会議中にいつの間にか絵が出来ててびっくりしたり),鉛筆と紙さえあれば描けてしまうのも魅力的です.

その点音楽はというと,絵でいう「ラフ絵」に相当するものが無いのですよね.
いや,無いというと語弊があるかもしれません.音をスケッチした仮曲をラフと捉える事も出来ますし.まぁ要するに有る無しが問題なのではなく,その完成に至る前段階のものを作品として公開出来ないという点が困るのです.
どう困るというかというと,「気軽にちょっと創作して公開」という事が音楽だと非常に難しいのです.

音楽で製作時間を短くするということを考えますと,まず曲の長さを短くするかあるいは音色数(楽器数)を少なくするかということが考えられますが,どちらもあまり上手くいきそうにありません.
前者ですとジングルなんかがありますが,あの短い時間で何か表現するというのは難しいですし,素材という要素が強いのでそれ単体では楽しめないですね.
後者ですと……そうですね.生楽器系の音ならその楽器単体でも独奏として十分聴けますが,ベタ打ちではどうしようもないので結局打ち込みに時間が掛かってしまいます.僕なんかはリアルタイム入力が使えない人なので特にですね.

要するに,落書き的なものが音楽に無いというのが残念だなぁということです.
いやZUN氏なんかは「これは絵でいう落書きに相当するものです」という体で音楽を公開されていましたが,それでも3時間以上はかかっていたと思いますし.それくらいはうだうだ言わずに時間かけてやれよ!という事でしょうか.

……まぁ,別に何かを主張したいわけではなく,ただの愚痴でした.
音楽創作に携わっている方は共感して頂ければ嬉しいですし,絵や文章を創作している方はぷぎゃーとでも思ってくれればいいんじゃないでしょうか.

……あー.そういえばプログラミングも時間かかりそうですね.場合によっては何ヶ月とかのレベルですし.
まぁいいや.それではまた.

2009 年 3 月 5 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

ビームです。見ての通り、今は落書き担当をやっています。ちゃんとしたもの描けよ。ごめんなさいごめんなさいっ!

ええっとええっと。つい先日、サークル内で講習会なるものを始めたのです。ウェブページが作れるようになる、かもしれない、講習会です。

僕もサークル内では技術的なことが分かる方、ということになっているのです。それで今回HTML/CSSの入門解説を書いて、それを使って講習会をやりました。もう一回やる予定です。

資料はノンリニアのサイト上で公開する予定、だと、思います。入門資料といいながらなんか初心者に優しくない内容になりつつある……こういうのって作るの大変なんですねえ。ていうかなんかいろいろ省略しちゃいけない気分になってしまって、ついつい書きすぎてしまうのが、よくないですね。これは僕の性格の問題だろうけど。

あと、副作用としてやっぱりその内容には詳しくなります。なんかこう、間違ったこと書いちゃいけないと思って、自分の知識がホントに正しいかあれこれ調べますからね。しかしそれにしても無駄なレベルまで調べてる気がしてならない。

ちなみに講習は、HTMLなんて書いたことないというレベルからたった2回で自力でページがデザインできるレベルに持っていくという無謀なものです。1回目終わって、ええっと、終わらないんじゃないか、と思い始めています。ごめんなさいごめんなさいっ!

とりあえず資料作ればみんな自習できるよね! 外部公開するしね! ということで今は全力で資料を作っています。これからロールオーバーボタン作るところです。やっぱなんか間違ってないか自分。

まあまあ、とりあえずそういうものがそのうち公開されます。後続にW/H担当のJavascript講座もある予定です。そっちも公開すると思われます。こんなところでそれを楽しみにする人がいるのかどうかはさておいて、控えめにおしとやかに(謎)、宣伝でありました。

2009 年 3 月 3 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

ひな祭りですね。

皆さんこんにちは。

なぜか行事のときに担当の回ってくる星丸です。

ひな祭りは女の子のお祭りの日、つまり幼女祭りです。

まあ男兄弟しかいない自分には何も関係のない行事なわけですが。

あー、今すぐ幼女が欲しい。

因みに自分にとって今日は楽しくもなんともない期末テストの開始日だったりします。

やめて欲しいです。

テストの存在意義がわかりません。

テストとか言われないと真面目に勉強しない人のためにあるのでしょうか?

まあだとしても、俺はそんな教育機関の策略などには乗せられないがな!

さあ、五箇年計画でも立てるか……。

ところで前回書いたゲームプログラミングについてですが、携帯のアプリにありそうな程度のゲームの劣化版くらいのものが完成し、現在はRPGに挑戦中です。

で、そのRPGですが、戦闘が一対一でしかないとか、使える道具や魔法の類が固定されているとか、RPGとしては様々な問題がありますが、敵を倒してLvがあがっていくなど一応ゲームとしてプレイできる程度ではあります。

もちろん今後その辺の問題点を改善していきますが。

それでも本当にプログラミングだけなので、画像や音楽が全然ないなどといった問題点はありますがね。

それではまた次回も行事の日(?)にお会いしましょう。

2009 年 3 月 3 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

創作者、つまり供給する側に立つ人間は、常に需要側に対して責任を負っている。
これは一見創作者側にしてみれば理不尽かもしれないが、需要者側にしてみれば至極一般なこと。
例えば、高い金で車を買った時に、車が欠陥品だったとしよう。責任があるのはもちろんメーカーに決まっている。我々需要側に何の負い目も無い。

何かの作品に批評のコメントが向けられた際、その批評家に対して

「じゃあ、君がやってみなさいよ」

という反論を述べる創作者がいる。

この反論が正当であるかどうかは状況によって決まる。

まず、批評家が「客」である場合。
例えばジャイアンに対してのび太が「君は歌が下手だ」と言うケースだ。
この場合の批評家であるのび太君はただの視聴者、「客」なのであって、ジャイアンの歌の善し悪しについて客観的な評価与えた。
「俺が下手糞だと?!じゃあお前が歌ってみろよ」
とジャイアンに言われる筋合いは全くない。ジャイアンはのび太達を「客」として、のび太達に満足感を与える為にリサイタルに呼んだのである。ここでのび太がにマイクを渡すようなジャイアンがいたら、それは歌唱力の前に歌に対する姿勢という点からジャイアンは即刻歌手を辞めるべきだ。のび太が歌う必要はどこにもないのである。こんな場合のジャイアンのこの発言は全くの言いがかり、不当と言える。

正当の場合。
批評家が創作者と同じ創作に従事する、供給する側の者だった場合である。
未来の世界で、ジャイアンに同じようにしずかちゃんが歌の道に志を持っているものと仮定する。その場合、ジャイアンがしずかちゃんに対して「歌が下手だな」と批評を放った場合はどうか?
しずかちゃんは決してジャイアンの為だけに歌っているわけではない。彼女は歌手になった、皆に愛されるアイドルとなった。供給する側だ。
そんな彼女の歌を聞くジャイアンは同じ「供給側」つまり歌手を目指すドリーマーだ。半分くらいは「客」として彼女に対して批評を放つ権利があるかもしれないが、もう半分は同じ供給する場の人間、歌い手としての批評として扱うべきだ。
ジャイアンも供給の側にいるのだから、しずかちゃんはジャイアンに対してジャイアンの歌を需要する立場に立てる。つまり、彼が彼女に対してそうしたように、しずかちゃんはジャイアンの「客」となれる。
いや、ならねばならない。歌い手の誇りとして、ジャイアンは彼女を「客」として迎えねばならない。そんな勇気や覚悟が無いならマイクなど捨ててヒトカラでも行くべきだ。
つまりしずかちゃんはジャイアンに対し
「私が下手?じゃあたけしさんが歌ってご覧なさいよ」
と言う権利が十二分にあるというわけだ。
未来のジャイアンが自らの声を見直して高い歌唱力を得たのか、あるいはその時も独りよがりを続けているのかは不明だが、ジャイアンが本気で歌手の道を目指している以上は、彼はしずかちゃんに自分の歌を聞かせなければならない。

さてこの場合だが、ジャイアンの歌がこの時点でも下手糞だったならば、しずかちゃんは「ざまあ」とジャイアンを見下してみせられよう。ジャイアンは歌う事ができずに逃げ出すかもしれない。彼はただ自分より歌がうまいしずかちゃんに嫉妬していただけなのだから。
ではジャイアンは自らの歌を見直していて、しずかちゃんより歌唱力が勝っていたものとしよう。
また、ジャイアンがしずかちゃんに向けた批評は「どこどこの音をどう歌えばもっとよく聞こえるよ」といったアドバイスではなく、単に「歌が下手だ」といった言葉、つまり感想、ただのヤジだったとする。
普通の状況で、こんな煮ても焼いても食えないヤジを自らより歌唱力が劣る人間にわざわざ向けたりする訳がない。少し想像してみればわかることだ。そんなことをするのはよっぽど大人気がないか暇がありすぎるかのどちらかあるいは両方だ。
ではなぜそんなヤジを言わざるを得なかったのか。
簡単だ。これも嫉妬であろう。
自分より歌唱力が低い人間が、歌唱力以外の所で評価されていたとしたら?かわいいから、いいマネージャーがついているから、有名ブランドの助太刀、そして、自分よりよくテレビに出ているから。etc.

gdgd書いたけど何が言いたいかと言えば、ある作品に対してどうこう言う時の態度っていうのが何か、気に食わないケースが時々ある訳なんですよ。うん。

2009 年 3 月 2 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

を最近やってたりしますが。なんか皆のブログに書く内容が最近小難しくなってきて、「テレッテとタルンダの海パン三人でボス正義/戦車、無礼過ぎてらわろすww」とか書いてると、どう見ても一人だけ残念な子なので、今回は何かちょっと真面目な事を書こうかと頑張ってみます。

まぁシナリオライターだからには、「須藤のシナリオ書き方講座」的なのが一番手軽でらしいのでしょうが。まぁ実力の伴わない人の講座なんて需要ないし、そんな自負は全然ないので、やりません。そもそも書き方を勉強したいなら、まずは自分が面白いと思う作品を解剖してみて、後は色んな作品に手を出すのが良いと思うよ、というのが個人的な考えでして。いわゆる「教本」は、まぁ自分なりのスタイルが出来た後、自身の悪いところを改善したり、他人のスタイルを見て違いを楽しむ、といった使い方をするのが、というかそう使ってる。まぁ別に論理的根拠のない個人的な経験からの考え方ですので、適当に聞き流してくれれば。
ちなみに、以前別件だが「要望が来たらやるけど」とか冗談で言ったら本当に要望が来たことがあったので、冗談でも「まぁ万一要望があったら講座をコンテンツに上げます」なんて言わない。

じゃあまぁ場違いなの承知で他作品のレビューでもやるかっていったら、それも微妙でして。
批判に対して「自分では作れないくせに」という反論を時々見かけますが、私は作れない人間も文句言って良いと思っています(ただし論理的に説明しようとしている努力が見られるものに限る)。一番の理由として、作ってる側が「オレの自慰を見てくれッ!!」という態度でない限り、ある種のエンターテインメントとしてその「作品」は公開されているはずという点をあげます。有料なら勿論のこと、無料であれ時間をとって「作品」をやってもらうわけです。楽しませられなかったのであれば、批判を受け入れて改善の努力を見せなければならないはずですので。まぁ勿論、努力してもどーしようもない限界っていうのはあります。そこは受ける側の良心で、常識的な範囲に妥協を認めるなり何なりしないといけないとは思いますが。
でも、これ作ってる側が受け手に回ろうとすると話は別でして。「なら自分で作れば良いじゃん」と言われると返す言葉ないよねと言うか。批評って書いてるとどうしても上から目線になっちゃうわけで、自分よりいい作品を作る同業者に対してその態度はどうよって感じになるんですかね。常識的にというか社会体裁的にというか、何となく気が引けてしまうのです。後、どうでもいいですけど、本当に自分でその部分を改善した作品を作ろうとしたら、「パクリ乙」って言われない程度に改変を加えなきゃいけないわけで、そうなるとまた別のトコで問題が起きる程度には別作品になるよね。そうやって言い返せばいいのかね。

何か後半はすっごく自意識過剰な内容になってる気がしないでもないですが。延々書いたところで、十分な量になった気がするので、今日はこんなもので。
次回はまたグダグダな内容に戻るでしょう(予報

2009 年 3 月 1 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

どうやら一部界隈では「たこルカ」が流行っているようですね。

  • 初音ミクがまさかのネギ属性
  • CV2の鏡音リンには何持たす?ごぼう?  →まさかのロードローラー乗りに
  • CV3の巡音ルカには何持たす?マグロ? →まさかの頭部のみのたこ化

…いつの世にも常識にとらわれない発想がブレークスルーとなり発展していくのですね。そんな革命を一度は自らの手で起こしてみたいものです。

ということでニコニコ動画には「たこルカランキング」まで登場してしまったようで既に第4回を迎えていますが、第1回の上位層を見るとクトゥルー関連の動画が多数を占めているという結果になっていました。いや、私はたこルカを始めてみたときから思っていました、あれはルルイエの出身だと。「SAN値直葬」とは的確に言ったものです。テーブルゲームのほうはやったことありませんけれど。

私が最初にクトゥルーのことを知ったのは広江礼威画集でのPHANTOM BALLETでナイアルラトテップという美形キャラが出てきたのをググった時ですね。wikipediaでナイアーラトテップとクトゥルフの画像を見たときはなんじゃこりゃー!キモッと思いましたけどね。たこルカから入った人も同じ目に会えばいいと思います。

その後Fate/Zeroでもとあるキャラのなんとかがクトゥルー神話中のなんたらだったりしてまた興味を持つのですが、なかなか面白いですよね。私のような設定さえあればおいしくいただける設定厨には魅力的です。  ここ数日も量子力学や統計熱力学の試験勉強をしていながら「ああ こういう抽象的な理念を突き詰めていけば異次元に飛べるんだろうなぁ」という妄想を膨らませています。終わらない厨二病乙といったところです。

そのうちクトゥルーものをモチーフにした何かを作れたらいいなぁと思っております。全然構想も何もしていませんが。

2009 年 2 月 28 日 | カテゴリー: 中の人の戯言

こんにちは、八索です。

本当は昨日記事を書くはずだったんですが、どうにもうまく文章が書けないので1日遅れてしまいました。たまにこういう日があります。

自分は決して文章を書くスピード自体が遅いわけではないのですが、どうにもエンジンをかけるのに時間がかかるというか、実際に手を動かし始めるまでに時間がかかるんですよね。

永遠のSOの下にがこんなに時間がかかってしまったのも、そういうことが背景にあります。順調に行っていれば夏にはシナリオが完成しているはずだったのですが、それが延びに延びてようやく冬コミで前編の発売にこぎつけました。……何も遅れていたのは自分だけではないところが悲しいところですが。

その代わりに調子が出れば1日で1万字でも2万字でも書けないことはないので、一応バランスは取れてるのかなとは思います。本当はもっとコンスタントに仕事がはかどるようにしたいのですが、なかなか道は遠そうですね。